ケープタウンのスーパーマッケット

 

商店街(ウオーターフロント)

 

ワールドカップがあったスタジアム

 

立派なバス

部屋のベランダからテーブルマウンテンを望む

 

夕日

 

 

 

          

船から見た海と空

 

アフリカンビュッフェでいろんな動物の肉を食べた。(ランドツアーで鰐なども)

夕食のデザート(こどもの日)

 

毎日のようにペンキを塗ったり メンテナンスをしている

 

5月8日(火) At Sea 曇後晴 21度〜18度 

       日出 6;55 日没 17;55 時差 10時間  

昨夜はずいぶんゆれた。今も。このクルーズで一番ゆれている。大西洋の真ん中だから当然かもしれない。昨夜はドンドンと大きな音がしたり横揺れも激しかった。7デッキクローズしてあり、歩けない。

船長朝の航海情報によれば5時過ぎ寒冷前線が通過、低気圧は通り過ぎたそうだ。

帰って葉書を書いたりPCをうつが不思議なもの慣れたのかそれほど感じない。

正午現在ケープタウンから3,890km、ブエノスアイレスまで3,510kmの地点を走行中。

 

 

海は少し荒れている(大西洋横断)

 

部屋のTV

夕食を御一緒

 

日本の裏側に私の備前焼があります

 

5月13日(日) ブエノスアイレス着岸  

     アルゼンチン国旗

 

1泊2日でイグアスの滝に行く

ブエノスアイレス

 

 

ハナクマの出迎え(オーバーランドツアーでイグアスの滝に行く)

 

 

 

 

 

     

イグアスの滝(アルゼンチン側から)

 

 

 

イグアスの滝(ブラジル側から)

 

このトロッコに乗って滝の近くまで行った

空港の売店 ここでマティチャの容器を買った

空から見た南米大陸(山はない、ジャングルの連続)

マティチャ容器

 

5月15日()  モンテビデオ入港、 

     ウルグアイ国旗

ウルグアイの国土は日本の半分、人口338万人、うち170万人がモンテビデオに住んでいる、日系人は200人ときいた。(アルゼンチンは3万人)通貨は 1ウルグアイペソは約5円。米ドルが通用する、1ウルグアイペソを16で割ったら$。油断は出来ないが治安も比較的良いと聞く。

 

モンテビデオの夜明け

モンテビデオの街

 

 

 

バスが待機

 

サッカー場

 

 

国会議事堂

 

 

 

モンテビデオの街へ歩いて

 

パリジャーダ 2人前(4人で食べきれなかった)

 

 

 

 

 

 

5月18日(金)  サントス入港 

     ブラジル国旗

サントスはブラジル一番の貿易港、大きな船の出入りが多い。

日本とブラジルが国交を結んだのは1895年。1908618日最初の日本人移民781人がサントス港に着いた。以来移民は累計24万人。日本人は教育熱心。最難関のサンパウロ州立大学の医学部、法学部は全体の10%強、文学部、経済学部は20%。人口の1%に満たない日本人、日系人がこれだけとは驚異的な数字。日本人は農業面で貢献「農業の神様」と言われる。30年来ブラジルでは空前の日本料理ブーム。スシ、テイショク、ショウユ、ワサビ、テンプラ、ラーメン、ソバ、トウフ、ヤキソバなどは外来語としてブラジル社会に深く浸透。ヤキソバが人気。

 

 

 

サントスの街 港

現地パイロットと入港操作をする船長

パウリスタ博物館

 

パウリスタ博物館前の広場

現地の学生と

イピランガ記念碑

ブラジルの土は赤い

 

 

昼食

 

昼食会場の周辺

日本人街のスーパーマーケット

 

日本人街の風景

 

 

備前焼に似た焼き物

サントス港の夕暮れ

 

ブラジル移民記念碑

モニュメント

砂浜

 

 

コーヒー取引所(ここでお土産のコーヒーを買った)

 

コーヒーを試飲

 

5月20日(日)  リオデジャネイロ入港 

リオデジャネイロは世界3大美港の一つ。リオデジャネイロはポルトガル語で「1月の川」

メトロポリターナ大聖堂

 

 

ポン・デ・アスカール

イパネマ海岸

 

 

リオのシンボルキリスト像

 

コンコバードの丘からの眺め